大判例

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浦和地方裁判所 平成2年(わ)639号 判決

主文

被告人を懲役一年二月に処する。

未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、法定の除外事由がないのに、平成二年八月下旬ころ、埼玉県内又はその周辺において、覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパンを含有するもの若干量を自己の身体に施用し、もって、覚せい剤を使用したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(累犯前科)

前科 昭和六一年五月二九日宣告、東京地方裁判所、覚せい剤取締法違反・傷害、懲役二年二月、同六三年八月一五日刑執行終了

証拠 検察事務官作成の前科調書及び右前科に係る判決書謄本

(法令の適用)

罰条 覚せい剤取締法一九条、四一条の二第一項三号

累犯加重 刑法五六条一項、五七条

未決算入 同法二一条

訴訟費用 刑事訴訟法一八一条一項但書

(争点に対する判断)

被告人及び弁護人は、1被告人が覚せい剤を使用したことはなく、覚せい剤を検出したという鑑定結果は被告人の尿に関するものではない、2仮に右尿が被告人のものとしても、その提出は保護を名目にした違法な身柄拘束下においてなされたものであるから、右提出された尿に関する鑑定書は違法収集証拠として排除されるべきであり、いずれにせよ被告人は無罪であると主張する。

ところで、右1の主張が事実認定上の問題であることは言うまでもないが、2の主張もこれを判断するには採尿に至る一連の経過事実の確定が必要であるから、以下、両者を併せ、本件において採尿に至るまでの経過が如何なるものであったかを見ることとする。

一  前示証拠の標目欄掲記の各証拠によれば、次の各事実が認められる。

1  被告人は、昭和五七年及び同六一年の二度にわたり、覚せい剤取締法違反の罪により検挙されたが、昭和六二年の際には、前示累犯前科欄記載のとおり、懲役刑の実刑判決(二年二月)を受けて服役し、昭和六三年二月に仮出所した。出所後間もなく、前妻と離婚して引取っていた一人娘Aの世話をしてくれていた実母が死亡したため、以後被告人がAの面倒を見るようになった。しかし、被告人がしばしば同女に対して激しい暴力を振るい、周囲の者から一一〇番通報がなされるようなことが重なり、そのため、被告人は新座警察署に保護されたり、同年九月から一二月までは、同警察署の警察官らによって措置入院をさせられるまでになった(診断名は躁うつ病)。退院後被告人は、通院して治療を受けるようになったが、Aに対する暴力行為が相変らず見られたため、医師は感情的な爆発を抑えるための向精神薬等を与えていたところ、平成二年五月には再び他人が悪口を言っているなどの被害妄想的な症状を示すようになった(医師の診断は、人格障害に覚せい剤の作用が加わっての精神障害)。その頃、被告人は、暴力団熊倉組の組長宅に電話番として住込んで働くようになっていたが、思うような収入も得られず、慣れないAの世話にも疲れ、そのため同女に暴力を振いがちであることもあって、右組長宅を出ようと決心し、Aに与えた傷(顔面等の打撲症)の治療も兼ねて、志木市立救急市民病院(以下、市民病院という)にAを入院させ、自分もこれに付き添うこととした。

2  平成二年八月一五日、被告人は娘A(当時六歳)を市民病院に入院させ、その後同月二〇日に医師の勧めもあって一旦退院させてホテル暮しに戻ったものの、同月二三日には同病院にAを再入院させた。右二度の入院の間、被告人はAに付き添い、その傍らで寝泊りする生活を送っていたが、同月一八日から借り受けていたレンターカーを用いるなどしてAを連れて度々無断外出をするなどしていた。その間の同月二二日には、Aを連れて、暴力団幹部のB宅を訪れ、同人やその輩下で中学校同級のCらと雑談していたが、その際同所を訪れた群馬県渋川警察署係官により、覚せい剤使用の容疑による右Bの逮捕とその家宅捜索が行われた。

3  右二度目の入院中の同月二六日、被告人は、ニチイ新座店に赴き、同店従業員のD(当時四九歳)らに対し、同月四日に注文して出来上りを受け取っていたズボンのネーム入れが自分の希望通りになされていなかったとして、大声で抗議した。そこで、Dらは、同日午後六時ころ、右ズボンのネームを被告人の希望の色に入れ直して市民病院二階のAの病室に居た被告人の許に持参したところ、被告人はなおもこれに納得せず、Aの病室と同じ階にある小児食堂において、同人らに対し、再びネームの色や場所が違うと文句をつけ、さらに、ネームを入れたことでズボンのポケットが浅くなり財布を落としたとか、ズボン自体のまつり糸が違っている、果てはズボンの生地の薄さもDらの責任であるなどと、同人らとしても説明のできない様々の問題を持ち出して同人らを大声で叱責、詰問し、その胸倉を掴んだり、ズボンを同人に投げつけたりした。

4  被告人の右のような執拗な抗議が約三、四〇分続き、加えてその声が病棟二階中に聞こえるほどの大声になってきたため、同じ食堂でAに食事をさせながら様子を見ていた看護婦齋藤弘子は、同病院の管理課長寒川賢一にその状況を連絡した。右連絡を受けて小児食堂に赴いた寒川課長は、その入口から被告人の興奮した言動を見、さらに、前日職員から聞いていた被告人の覚せい剤使用を疑わせるような特異な言動(午前二時頃まで同病院玄関で他人を見張っていると言って大声を出していた)を併せ考え、このままでは他の患者に害を及ぼすことにもなりかねないと考え、そこで、前日被告人のそれ迄の言動に危険を感じて朝霞警察署に相談していたこともあって、直ちに同署に電話で右状況を通報した。

5  寒川課長からの通報を受けた当直警察官である朝霞警察署防犯課係長の警部補E(以下E係長という)他二名の警察官は、同日午後七時一三分ころ市民病院に到着し、直ちに右食堂に赴き、同所でE係長が被告人の氏名、住所を問い質した。これに対し、被告人は、「なんで警察を呼んだ。誰が呼んだ」などと大声をあげてはいたものの、自らの氏名、住所(但し、従来住んでいた熊倉組々長宅)は答え、事情の説明を求められたことに対しても、「何だ、何もしちゃいない」などと食ってかかったことはあったが、デパートの店員がズボンのネームを注文通りに入れなかったために呼びつけたなどとその間の事情を説明した。そうこうするうち、E係長らの落ち着くようにとの説得もあって、被告人は次第に落ち着きを取り戻してきた。そこで、E係長は、詳しいことは警察で聞くから署まで同行するよう申し向けた。しかし、被告人は、「何で行かなきゃいけないんだ。」などと大声でこれを拒否し、E係長らの再三の説得に対しても同行に応じる気配を示さなかったため、同係長は、既に寒川課長からの電話で被告人に覚せい剤使用の疑いがあることを聞いていたこともあって、それまでの被告人の興奮した言動が覚せい剤使用によるものではないかとの疑いを強くし、そのような者であれば、説得等により一旦は落着いても、警察官がいなくなれば再び興奮して他の患者らに迷惑を及ぼす虞れがあると考え、この際被告人を警察官職務執行法(以下「警職法」という)三条一項一号に基づき精神錯乱者として保護することを決意し、被告人に対し保護する旨及び朝霞警察署まで同行するよう申し向けた。これに対して被告人は、保護されるのであれば仕方がないとその態度を変え、その同行を了承するに至ったものの、Aを一人残すわけにはいかないと同女を一緒に連れて行くことを強く主張し、同女もまた齋藤看護婦らの説得にもかかわらず被告人にしがみつくなどして離れなかったため、E係長は、二人を無理に引き離せば再び一騒動を起こすことになると考え、とりあえずは二人とも一緒に朝霞警察署に連れていき、暫くしたらAだけを市民病院に送り届けるほかないと判断し、寒川課長及び齋藤看護婦にその旨を伝え、同人らもAの症状が既に軽快しており、入院の必要も薄かったことからこれを了承した。そこでE係長は、被告人とAの傍らに付き添って同病院を出、警察車両の後部座席の自らの席の隣りに被告人らを乗せて朝霞警察署に向かった。

6  被告人らは、同日午後八時三五分ころ、朝霞警察署に到着したが、被告人に対する覚せい剤使用の疑いを深めていたE係長は、とりあえずその捜査に当たろうと考え、被告人とAを同署二階の調べ室に入れ、まず、被告人にその所持品を見せるよう求めた。被告人もこれに応じて、Aの病室から持ち出してきたセカンドバッグを提出したが、その中からは現金等のほか針のついていない注射器一本が発見された。そこで、E係長は、右注射器は覚せい剤使用に用いられたものと考え、被告人にその所持の理由を聞いたところ、被告人はレンタカーの中にあったものと弁解した。しかし、その弁解の不自然さや前科照会により被告人の前記前科を知ったこともあって、同係長は被告人の覚せい剤使用の嫌疑をさらに深めるに至った。

次いで、E係長は、被告人に対し、その尿の提出を求めたが、当初被告人は覚せい剤使用の事実を否認し、尿の提出を拒んだ。そこで、同係長がその後約二、三〇分ほど尿の提出を求めて説得を続けたところ、被告人は、同日午後九時五分ころ、尿提出に応ずる意向を示し、Aを連れたまま同署内二階のトイレに行ったが、この時は結局排尿しなかった。

7  そこで、E係長は、同日午後九時三〇分ころ、被告人からの採尿には手助けが必要と考え、同署防犯課巡査部長F(以下F巡査部長という)を自宅から呼び出し、その後は同人と二人で被告人に尿を提出するよう説得を続け、排尿を容易にするため、途中、コーラ、ジュース、水などを与えていたところ、間もなく被告人は尿は提出するが暫く待ってくれと述べるとともに、汗をかいたのでティッシュペーパーを貸して欲しいと言い出し、F巡査部長が持ってきた箱入りの白色ティッシュペーパーを四、五枚取り出して汗を拭き、その使ったティッシュペーパーを着ていたジャージーのポケットにしまい込んだ。

その後の同日午後一〇時一五分ころ、被告人が尿を出せるかもしれないと言い出したため、再び前記トイレに向かったが、被告人は、七、八分の間、同所の水道で顔や頭を洗ったり、その蛇口に口をつけて水を飲んだりしてジャージーの上下に水を飛び散らせ、前記ティッシュペーパーに水を含ませた。やがて、被告人は、両側に目隠しのある小便用の便器に向かい、その右後ろから監視していたE係長及び写真撮影を担当していたF巡査部長の目を盗んで、右ティッシュペーパーから絞った水を採尿容器に入れ、これを自ら排尿したものと偽って提出した。ところが、右容器内の液体が白濁していたため、疑問に思ったF巡査部長がその容器の底に触れてみたところ、尿と違い生温くなかったところから、これが尿ではなく水道の水ではないかとの疑いを持ち、戻った調べ室で本当に尿を提出したのかと問い質したところ、被告人は尿であると言い張った。しかし、その間に足元の方に両手を持っていく不審な動きを見せたためこれが見咎められ、被告人が手の中にかくしていた水に濡れたティッシュペーパーの固まりを見つけ出された。そこで、E係長は、被告人が右ティッシュペーパーに含んだ水を絞って尿と偽ったものと考え、その液体を捨てることとし、被告人もこれを了承した。その際、同係長は、もはや被告人が任意では尿を提出する意思は乏しいと判断し、F巡査部長に強制採尿手続きの準備をするよう依頼した。

そこで、F巡査部長は、強制採尿のための書類を準備し始めたが、E係長においては、引き続き被告人に対し、尿の任意の提出を求める説得を続けていた。

8  翌八月二七日午前零時二五分ころに至り、再び被告人が尿の提出に応ずると言い出したため、E係長らは、その頃椅子の上で寝込んでいたAを残して、前記トイレに被告人と共に向かい、放尿を促したが、その際、前回のような工作を封じるため、被告人の上着の袖を肘辺りまで、上衣の裾を胸辺りまでそれぞれまくり上げ、ズボンもパンツの裾辺りまでおろさせたうえ、E係長が被告人の右隣りに、F巡査部長が左隣りに位置してその放尿を見守った。被告人は、そこで二〇〇ミリリットル入りの採尿容器に約5.2ミリリットルの量を排尿し、これをE係長らが尿であることを確認したうえで蓋をさせ、調べ室に戻った。

9  E係長は、右尿のうち約0.2ミリリットルを予試験用に取り分けた後、被告人自らに採尿容器に封印させて提出させた。しかし、F巡査部長による予試験の結果、被告人の尿の覚せい剤反応は疑陽性と判断されたことから、E係長らは正式な鑑定を依頼することとし、その結果が出るまでは被告人の逮捕を見送ることとしたが、被告人をこのまま病院に戻せば再び病院関係者や患者らに迷惑をかけるであろうと考え、その保護を当面継続し、被告人の身柄を署内に留め置くこととして、保護房に被告人をAと共に収容した。その際、E係長は、寒川課長らに言い残した通り、Aだけは市民病院に送り届けようとしたが、同女及び被告人とも前同様引き離されるのを厭がってAが泣いて被告人にしがみつくなどしたため、結局、同女も被告人と共に保護房に留め置くこととした。

10  同日朝八時ころ朝霞警察署防犯課に出勤してきた同課々長のG(以下G課長と言う)は、E係長から前夜来の被告人とAに関する状況報告と、尿を鑑定に回したいとの申し出を受けた。G課長は、提出を受けた尿の量が少ないのと、できれば予備試験で明確な結果を得たいことから、もう一度尿を取り直せないか尋ねたところ、E係長から、右尿は何度も取り直してようやく得たものであり、鑑定で正式な結果を得れば良いのではないかと言われてこれを了承し、尿を鑑定嘱託する手続きをとった。

11  そこで、F巡査部長が被告人の尿を、同日午前九時ころ埼玉県警察本部刑事部科学捜査研究所に持参して鑑定に付したが、その尿中からは一ミリリットル当たり7.9マイクログラムの覚せい剤が検出され、その結果は同日午後四時五八分ころ朝霞警察署に電話で中間報告として伝えられた。

12  その間の同日午前一〇時過ぎころ、G課長は、右科学捜査研究所から、本件尿の量の少いことと、色の薄いことなどについて問い合わせを受けたが、E係長から聞いていた採取状況を話して早く鑑定結果を出して欲しいと答えた。その後、G課長は、以前に見ていた報告書等から、Aが何度となく被告人から虐待を受け、朝霞警察署の通告により児童相談所が指導を継続していた児童であることに気付いていたためとりあえずAだけを病院に戻そうとした。しかし、それを知った同女や被告人がこれに強く抵抗し、E係長らも含めて大声で怒鳴り合う有様になったため、未だ前記鑑定の結果(中間回答)は出ていないけれども、この際被告人の保護を解除し、被告人とともにAを市民病院に戻すのもやむを得ないと考え、被告人に今後の注意を与えて、同日午前一〇時三〇分ころ保護解除を決定した。右解除に基づき身柄を開放された被告人は、Aと共に一旦市民病院に帰ったものの、その後二人とも同病院を抜け出し、所在不明となった。

13  その後、前記の通り被告人提出の尿について同日午後四時五八分に鑑定の結果が伝えられたため、G課長らは直ちに逮捕状の請求手続きを進め、翌八月二八日浦和簡易裁判所裁判官からその発付を受けた。一方、被告人は、市民病院を出てから、福島県の実家等を訪れたりしていたが、その途中の同年九月二日同県いわき市内において道路交通法違反で検挙された際右逮捕状の執行を受け、勾留されるに至った。

なお、被告人は、逮捕後のE係長の取り調べに際しては右提出した尿に関する覚せい剤使用事実を認め、身上関係を含めて四通の自白調書の作成に応じたが、その後の検察官の取り調べ時には右使用を否定するに至った。

二  以上の認定に対し、被告人、弁護人は種々反論するが、そのうち最終的に提出した尿についての主張は別に項を改めて判断することにして、その余の点についての当裁判所の判断を先に示しておくこととする。

1  ズボンのネーム入れを巡るトラブルについて

被告人は、ズボンのネーム入れを巡ってニチイのDらとトラブルになったのは、被告人が注文した通りにズボンの左横ウエスト部分に青色か緑色でネームを入れなかったからであると言うが、被告人の署名のあるニチイに対する注文書(〈押収番号略〉)には、色の指定はなく、ネームを入れる場所としては「うしろポケット」と明確に記載されているばかりか、被告人はその出来上がりを受け取る際にネームの状況についても確認した筈(被告人はこれも否定する)であるから、被告人の言い分はいいがかりとしてしか解し得ないものである。しかも、仮にネームの色が意に添わないものであったとしても、Dが、被告人の望む紺色に入れ直してきた以上、市民病院ではそれ以上に同人を批難する理由はない筈である。にもかかわらず、被告人が前示3項のように、極めて執拗に抗議し、しかもDらとしても説明の仕様のないような問題を次々と出してきたことは、単なるいいがかりに止まらず、当時の被告人の精神状態そのものに問題があったと見られてもやむを得ない。

2  保護手続きの有無について

弁護人は、E係長による保護手続きについて、同係長が被告人に告げたという保護するとの言葉は、被告人は勿論周囲に誰もそれを聞いた者がないこと、仮に保護手続きをとったとすれば、朝霞警察署到着後直ちに被告人を保護房に入れたうえ、Aは市民病院へ帰すべきであるのにそのような行動に出ていないこと、同係長が作成した採尿報告書及び鑑定嘱託書にはいずれも被告人を「任意同行」した旨の記載があり、その記載は明らかに朝霞警察署への連行が単なる任意同行であったことを示すものであると言う。

なるほど、市民病院において、被告人に対し保護する旨を告知したと供述するのはE係長のみであるが(但し、周囲にいたH巡査他一名の警察官は証人として喚問していない。)、それ迄任意同行を強く拒否していた被告人が、ある時期からその態度を変えて同行の求めに応じたのは、保護する旨を申し向けられて保護ならば仕方ないと考えた結果と思われ、これに、採尿後ではあっても、E係長は被告人らを保護房に収容したこと(前示9項)、前示認定の保護経過に内容的時間的に合致する保護カードがH巡査によりその当日作成され、同日付でその謄本が作成されていることなどを併せ考えれば、E係長が被告人に保護する旨を市民病院で告げたことはこれを認めざるを得ない。

なお、被告人は、保護の意味が判らなかったとも言うが(上申書)、前示1項認定のとおり、既に警察に保護された経験を有することからすれば、その意味は十分承知していたものと言わなければならず、それ故にこそ、E係長の証言のように「保護ならば仕方がない」として同行の求めに応じたものと考えるのが相当である。

もっとも、保護と言いながら朝霞警察署到着後直ちに被告人を保護房に入れなかったことはそのとおりであるが、この点は、保護手続きがとられたか否かということよりも保護の要件が存在したか否かに関わることと考えられるので、後に採尿手続きの違法性を判断する際に言及することとする。なお、採尿報告書等の「任意同行」の記載は、前示5項に認定したように、本件では保護とはいえ被告人を連行する際何らの強制力も用いられなかったことに照らせば、E係長が証言するように、その連行は広い意味での任意同行と考えてその旨記載したとの弁解も理解できない訳ではなく、右記載によっては未だ前記認定を左右するに足りない。

3  次に、弁護人は、注射器の入っていたセカンドバッグの検査は、被告人がこれを拒否したにもかかわらず強行された違法なものであるという。

しかし、そのセカンドバッグは、前示6項に認定したとおり、被告人が朝霞警察署に連行される際、Aの病室のベッド横に置いてあったものをわざわざ取り出してきたものである。もし、その中に覚せい剤使用と結びつけられる恐れの大きい注射器等が入っていることが判っていれば、これを警察に行く際に持ち出すというようなことは考えられない。にもかかわらず被告人がわざわざこれを警察署に持参したということからすれば、被告人は当時セカンドバッグの中に注射器が入っているのを忘れていたとしか考えられないのであって(第七回及び第八回公判における被告人の供述は十分右事実を推測させる)、そうであれば、被告人として特にセカンドバッグの検査を拒む必要はなく、自分は堂々として見て下さいと言ったと被告人が供述する通り(第八回公判)、その検査には任意に応じたものと見るのが相当である。

4  また、被告人は、最初に尿の提出を求められた際(前示6項)、排尿しなかった事実はなく、採尿容器の底から二センチメートル位の量を提出している、その尿を持っていった係官が、(覚せい剤反応が出なかったらしく)おかしい、おかしいと言いながら戻ってきて、もう一度尿を出せと言われた、と供述する。

しかしながら、一回目に被告人の言う程の尿を提出したのであれば、その量は覚せい剤検出のための予備試験にも本鑑定にも十分であり、もし、それで覚せい剤反応が出なかったのであれば、改めて尿を取り直してみても覚せい剤が検出される訳もなく、再度尿の提出を求めることは全く無意味である。そして、このようなことは、E係長らにおいて十分承知していることであれば、同人らが一度尿の提出を受けながら再度その提出を促したという被告人の供述はにわかに信じ難い。

三  そこで、前述の、被告人が最終的に提出したものは、所持していたティッシュペーパーを絞った水であるとの被告人、弁護人の主張について判断する。

1  被告人及び弁護人によれば、被告人は、前示2項に認定したとおり、遊びに行った先のB宅で警察の手入れに出会ったが、その際、Cから頼まれて、注射器のほか覚せい剤を使用した時の出血を拭いたと思われる野球のボールより少し大きい位の球状にまとめてあったティッシュペーパーを預かって、これを前記セカンドバッグに隠しておいた。その後、右ティッシュペーパーの存在を忘れてしまっていたが、本件で市民病院から朝霞警察署に連行される際にこれを思い出し、警察官に発見されるのを恐れて、警察車両の中で、パンツの前の二重になっている個所を爪で破いて袋状とし、そこへセカンドバッグから取り出したティッシュペーパーを押し込んだ、そして、三回目の尿の提出の際、そのティッシュペーパーが濡れていたのを利用して、その水を採尿容器に絞り込んだというのである。

しかしながら、本件で鑑定を行った安藤司郎の当公判廷における証言によれば、本件鑑定資料中には、覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパンのほかアンフエタミンが検出されており、このアンフエタミンはフエニルメチルアミノプロパンが肝臓にある酵素によって代謝されて生ずるものであるというのである。従って、本件鑑定資料から検出された覚せい剤は、一旦身体に摂取された後、その体内で代謝されアンフエタミンが生じさせつつ尿中に検出されたものと認めることができるものである。つまり、本件鑑定資料は尿であって、何者かが単なる水に後で覚せい剤を溶かしたものでないことは明らかと言わなければならない。そのうえ、右証人安藤は、数多く受託する鑑定資料のうち覚せい剤を検出するものは六割前後であって、その余の覚せい剤を検出しないものは検出しないとの回答を出しているというのであるから、右鑑定の結果の信用性に疑念をさし挟む余地はない。

もっとも、右安藤は、その証言の中で、本件鑑定資料は色が薄く、明確に尿と判る臭いも感じられなかったとも言うが、他方、年に二、三件は同様の鑑定資料があり、そのようなものから覚せい剤を検出する例もあるというのであるから、本件資料の色や臭いの点からこれが尿ではなかったと言うことはできない。

2  ところで、右のとおり、本件鑑定資料が尿であるとすると、これが水であることを前提とする被告人らのその余の主張について判断する必要は認められないが、右主張の裏付けとされる被告人の供述は、採尿手続きに関する被告人の供述の信用性にも大きく係るので、念のため、その採り得ない理由を述べておくこととする。

まず、①被告人は、ティッシュペーパーを絞った際、これに付着していたBないしCらの血液が水に溶け、そのため覚せい剤反応が生じた可能性があると言う。しかし、前記安藤証言によれば、一般に血中の覚せい剤濃度は尿中覚せい剤濃度の約一〇〇分の一であり、かつ、血液一グラム当たり4.5マイクログラムを超える覚せい剤濃度が認められると致死領域とされるというのである。しかも、被告人の供述するとおりの経路で覚せい剤が検出されたものであるとすれば、そのティッシュペーパーに付着した血液はさらに水に溶けて薄められているわけであるから、右4.5マイクログラムをはるかに下回る濃度でしか覚せい剤は検出されない筈である。にもかかわらず、本件鑑定資料においては、一ミリリットルの資料から7.9マイクログラムという右致死量の約二倍の覚せい剤が検出されているのであって、このような濃度の覚せい剤が検出されていることからすれば、その覚せい剤がティッシュに付着した血液から絞り出されたものとはとうてい考えられないこととなり(但し、右安藤証言によれば、右数値は、尿中の覚せい剤濃度としては普通であると言う)、この点からも被告人の前記供述は到底とり得ないことになる。

また、②被告人は、水を再度提出した理由として、朝霞警察署に着いてから、早く帰してくれと何度も言ったのに対し、警察官から、(尿を)出さなければ帰さないと言われたので、早く帰るために再度水を出そうと考えた、とも言う。しかしながら、その直前に既に水を提出したことが簡単に見破られていることからして、再度同様の行動に出れば、より疑い深くなっているE係長らに再びこれが見破られてかえって事態をこじらせ、ますます帰ることが難しくなるであろうことは誰しも容易に想像がつくことである。にもかかわらず、早く帰る為に再度水を出したというのは不自然に過ぎて信用できず、ひいてE係長らが尿を出さなければ帰さないと言ったとの点もにわかに信じ難いこととなる。もっとも、被告人は、その供述の途中から、Aを早く寝かせてやろうと思ったとか、警察官を困らせてやろうと思って水を出したなどとその供述内容を変えているが、そのような矛盾した内容を供述すること自体、それらの供述の信用性の乏しいことを物語るものと言わざるを得ない。

更に、③前記のように血が付着していたことから覚せい剤使用を疑われると思って隠していたティッシュペーパーであれば、これを絞ればその中から覚せい剤反応が出てしまうのではないかと考えることの方がはるかに自然であろう。現に被告人も、そのような危険なティッシュを絞るより、自分の尿を出した方が安全であることを認めているのであって(第八回公判)、従って、血の付着したティッシュペーパーを絞ったという被告人の供述はあまりに不自然、不合理と言われてもやむを得ない。

しかも、④元々右ティッシュペーパーを被告人に預けたというCは、当公判廷で、そのようなものを被告人に預けた覚えはなく、また、警察官が来た時、部屋の中に使い捨てたティッシュペーパーのようなものはなかった旨明確に証言するばかりか、その後、被告人に多分覚せい剤に使用するためと思う注射器をあげたことがあるとまで言うのである。また、被告人の供述に従えば、⑤何故被告人はティッシュペーパーを預かってから約五日もの間、日常的に現金やキャッシュカードなどを出し入れするセカンドバッグにそのティッシュペーパー、しかも野球のボール大のものを入れたままにしていたのか、⑥何故警察車両の中で、覚せい剤使用をより強く疑われる注射器ではなくティッシュペーパーを隠したのか、⑦隣席に被告人の覚せい剤使用を疑っているE係長が座っているにもかかわらず、警察車両の中でパンツの前部分の縫い目を爪で切り開き、次いでセカンドバッグからティッシュペーパーを取り出し、これを右切り開いたパンツの袋状となった部分に押し込むというようなことが本当に可能であったのか、⑧採尿報告書添付の写真3でも明らかなように(なお、同写真1、2はその窓の開閉状況の相違から3とは別機会のものの可能性が高い。)、三回目の尿の提出時には、二回目の水の提出に懲りたE係長らが、前示8項で認定したように、被告人の手首、腹部、パンツ部分が全部見えるような姿にして排尿させ、その際、少くともE係長が被告人の右隣り直近にいたことが明らかな状況で、パンツからボール状になっていたというティッシュペーパーの固まりを取り出してこれを絞り、さらに再びパンツの中に押し込むというようなことができるのかなど種々の疑問が生じるのである。しかも、これらに対する被告人の弁解が、単に忘れてしまっていたとか、注射器には覚せい剤は付着していないと思った、周囲の警察官には気づかれずに出来たという程度のものに過ぎないことからすると、その供述は容易に信じ難いものと言わなければならない。

もっとも、弁護人は、さらに進んで、その具体的方法は示さないまま、E係長やG課長の供述内容から推認して、本件鑑定資料には何らかの作為の施された疑いが強いと主張する。

しかしながら、前記認定の本件鑑定の結果に照らせば、その資料が水に覚せい剤を溶かしたものでないことが明らかであるから、そのような作為は否定されるし、証人Fの証言によれば、被告人から採尿した時点から、これを翌日鑑定嘱託のために持ち出すまでの間に、朝霞警察署に保管されていた尿は被告人のもの一個だけであったというのであるから、これを他人の覚せい剤入りの尿とすりかえるという作為も不可能ということになる。また、前示のとおり、本件尿の色や臭いが薄かったことからすると、何者かが尿の中に水を入れて希釈したと考えることもできないではないが、少くとも捜査官がこれをすることは、覚せい剤成分を薄めるだけのことであって何らのメリットもない以上、これがあり得ないことと言わなければならず、他には弁護人の言う作為というものを考えることができない。

3  なお、被告人は、最終的に提出したものが水であったことは、自らが保護解除される直前に、科学捜査研究所からG課長に電話が入り、その結果E係長が、お前水を出したな、もう一度尿を出せと迫ってきて争いとなったことや、自分を病院に送ってくれた警察官から、本鑑定では覚せい剤が検出できなかった旨を聞いたことからも明らかである、と言う。しかし、右電話やトラブルの件は、前示8項に認定したとおりであって、その内容は被告人の言い分とは異なるものである。また、被告人らを市民病院に送り届けた能登巡査の証言によれば、被告人から、予備試験で陽性の場合でも本鑑定で覚せい剤が検出されないことがあるかと尋ねられ、稀にはそのようなこともあると答えたことは認められるものの、それは一般的場合について述べただけのことであって、被告人の尿についての問答とは認められない。同人は、防犯課の中でもE係長とは部署を異にしており、本件採尿には何らかかわっておらず、その鑑定の結果を聞く立場になく、単に、被告人を市民病院に送り届けることを引き受けたに過ぎない者である。従って、同人が、被告人の言うように、本鑑定の結果として覚せい剤の不検出を答えることはあり得ないと考えられる。被告人が前記のような問いを発したのは、能登巡査の言うように、以前覚せい剤使用を疑われて保護された被告人が、鑑定の結果覚せい剤が不検出となって保護解除された経験があるため、今回の保護解除も覚せい剤不検出の結果と誤解したためではないかと考えられる。

以上のとおり、最終的に警察官に提出したものは尿ではなく水であるとの被告人の供述は、客観的証拠に反する不自然不合理なものであって信用し難く、到底採用することのできないものである。

四  次に、本件採尿手続きが、E係長による警職法三条一項一号の保護手続き中になされたことの問題点を検討する。

弁護人は、この点について、E係長らは、当初から採尿目的で、保護要件が欠けているのに保護を口実に被告人を連行し、しかもその際入院中の児童まで共に連れ出し、深夜まで長時間親子を拘束し、種々の脅迫的言辞と強要を弄して、実質的に被告人に拒むことができないような心理的圧迫を加え、尿提出を強要したものであり、この一連の行為には、令状主義を没却する重大な違法があり、将来の違法捜査の抑制の見地からも無視し得ないものがあるから、これらの違法捜査の結果得られた尿に関する鑑定書は証拠から排除されなければならない、と主張する。

右弁護人の主張は、数次にわたる違法収集証拠に関する最高裁判所の判決を肯認し、本件のように、採尿手続きが、保護手続きによりもたらされた状態を直接利用してなされている場合には、その採尿手続きの適法違法の判断は、右保護手続きの違法の有無、程度をも十分考慮して判断すべきであり、(最高裁昭和六一年四月二五日判決・刑集四〇巻三号二一五頁参照。但し、右判例は刑事訴訟法上の手続き相互に関するものであり、本件は一方が保護手続きといういわゆる行政警察作用に属するものであるから、直ちに右判例の場合と同一に考えられるか疑問がない訳ではないが、右作用中とりわけ保護手続きは強制力の行使が認められ、その乱用の危険の大きいことなどからすれば、これを刑事訴訟法上の手続きと同視して、法的規制に服さしめるのが適当である。職務質問、所持品検査についての最高裁昭和六三年九月一六日決定・刑集四二巻七号一〇五一頁参照。)しかも、その結果保護手続き及びこれを利用する採尿手続きが違法と認められる場合であっても、その違法の程度が令状主義の精神を没却するような重大なものであり、当該鑑定書を証拠として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められるときに、初めてその証拠能力を否定するのが相当であるとの立場(最高裁昭和五三年九月七日判決・刑集三二巻六号一六七二頁参照)に拠るものと思われる。当裁判所も右立場を相当と考えるので、以下この見地から本件を見ていくこととする。

1 そこでまず、前示5項のE係長による保護を要するとの判断が、法律上の要件に合致するものか否かについて検討する。

警職法三条一項一号においては、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して、精神錯乱のため自己又は他人の生命、身体又は財産に危害を及ぼす虞のあることが明らかで、かつ、応急の救護を要すると信ずるに足りる相当な理由のある者に対しては(同条項二号の場合と異って)、必要な限りで強制力を行使してでもこれを保護しなければならないとされている。従って、右に言う「精神錯乱」の状態にある者とは、右強制力の行使を許容するに足りる者、即ち、医学上の精神病者のほか、強度のヒステリー患者、強度の興奮状態にある者など、社会通念上その精神が明らかに正常でない状態にある者を指すと解すべきである。

ところで、E係長による保護の当時、被告人は、前示3項ないし5項に認定したとおり、ズボンのネーム入れという些細な事柄についてニチイの店頭で抗議した後、さらに担当者のDらをわざわざ市民病院まで呼びつけ、そのうえで大声をあげて一時間余り執拗に抗議、叱責を続けていたものであり、しかも同人らの胸ぐらを掴み、ズボンを投げつけるなどの行動に出ていたのであるから、その精神にやや変調を来たしていたことは否定できない。(但し、それが覚せい剤使用のためであったか、躁うつ病に罹患したことのある被告人の人格特性―すぐ興奮し易い―によるものかは判然としない。)

しかしながら、被告人は、警察官の姿を見て最初のうちは興奮し、大声を出してはいるものの、問われるままに自らの氏名、住所を明確に答え、Dらとのトラブルの原因についても誤りなくその間の事情を説明しているのである。しかも、その後はE係長らの説得によりさらに落ち着きを取り戻している様子が窺われるのであって、これらの状況からすると、被告人の当時の言動は、強度の興奮状態にあったとは見られず、もはや、被告人なりに冷静に周囲の状況を判断できるようになっていたと見るべきである。E係長も、そのような被告人の精神状態の安定を見極めたからこそ、一旦は被告人の同意を得て警察署に任意同行しようとしたものと思われる。もっとも、その後、被告人が「何んで行かなきゃいけないんだ。」などとなお大声を出していたことは認められるが、これも警察への任意同行を求められたことに対する反撥ないし拒絶の意思の表われと見ることができるのであって、特に異常な言動とは思われない。そして、被告人が既に冷静な判断力を取り戻していたことは、任意同行を強く拒否していた被告人が、E係長から保護すると申し向けられた際、保護ならば仕方がないとその同行に応じ、以後何の抵抗もせず、手錠や実力を行使する必要のないまま朝霞警察署に向かうに至った事実からも十分推認できると言わなければならない。即ち、被告人が保護するといわれて同行に応じたのは、前示1項で認定した過去に保護された経験が下敷きとなって、保護であれば拒否しても仕方がないと考えた結果と思われ、そこには既に冷静な判断力が取り戻されていたと見られるからである。また、警職法三条一項においては、前記のとおり「応急の救護を要すると信ずるに足りる相当な理由のある者」とされているものであるから、保護の必要があったのであれば、とりあえず、被告人を保護房等に入れる措置をとるべきであったと思われるが、E係長は、被告人を朝霞警察署に連行した後、前示6項のとおり、直接取調べ室に入室させ、直ちにセカンドバッグの開披や尿の提出を求めているのである。このことは、その当時同係長が被告人の精神状況は任意捜査に適合するものと考えていたことを示すとともに、その直前の保護開始当時の被告人の精神状況にもさほどの問題がなかったことを推認させるものと言わなければならない。

以上の諸点からすると、被告人は、保護当時、未だ強度の興奮状態等社会通念上その精神が明らかに正常でない状況にあったとは言えず、警職法三条一項一号にいう「精神錯乱」の要件を満たしていなかったと認めるべきである。従って、E係長による被告人の保護を要するとの判断及びこれに基づく警察署への連行(以下「要保護の判断等」と言う)は違法なものとならざるを得ない。そうすると、右保護手続きを利用している以上、本件採尿手続きも違法のそしりを免れないが、果たして右の違法が前記のような重大な違法と言えるかを次に考える。

2 ところで、保護手続きは要件についての判断主体を警察官に委ねているうえ、その判断が即時性を要求されることなどからすると、その判断逸脱がすべて重大な違法とは言い得ないところ、本件でも、E係長がその判断の基礎とした被告人の言動には、同係長ならずとも一部精神錯乱を疑わせるものがあり、その場所が入院患者の多数存在する病院内であって処理を急ぐ必要があったことなどからすると、その判断の逸脱の程度はさほど大きいものとは言えない(従って、全く要件がないのに採尿目的のみで保護連行したとの弁護人の主張は採り得ない。)。また、本件では、右判断の際やその後の警察署への連行の際にも、強制力は一切行使されておらず、捜査官による最も重大な侵害行為である身体の束縛は見られない。ただ、考えられる被告人への心理的圧迫要因として被告人が過去の経験から、保護となれば抵抗しても無駄であると思って警察への同行を承諾した点があるが、これはあくまで警察署への同行という限られた局面に関するものであって採尿手続き全般に影響するものとは思われず、しかも直接有形力を加えられるような強い身体的束縛の結果もたらされたものでもないのであるから、これをもって被告人の意思に対する強度の制圧があったとは認め難い。

右のとおり、本件要保護の判断等の違法は、その程度、内容とも、令状主義の精神を没却するほど重大なものとは考えられない(但し、言うまでもないが、右違法の程度に対する判断と、誤った保護手続きをとられたことに対する民事上の責任の問題とは自ら別問題である。)。

ところで、本件では、E係長が被告人を保護する際、前示5項ないし12項のとおり、被告人の娘Aも共に朝霞警察署まで同行し、採尿手続きに同席させたうえ、同女を被告人とともに保護房に入れたまま一夜を過ごさせている。保護によって身柄を拘束されるのは保護の対象者のみであって、その近親者や同居者が身柄拘束の対象たり得ないのは当然であり、保護手続きの乱用の危険をも考えると、Aに対しE係長らのとった措置は違法であり、まことに遺憾なものであったと言わなければならない。

ただ、右の違法は、直接的にはAに対するものであり(従って同女に対する民事上の責任の生じる可能性は否定し得ない。)、しかも、本件においてはAの保護者は被告人をおいて他に無く、前示のとおり被告人、Aとも互いに離れることを強く拒絶しており、E係長としても、被告人の保護を断念するか、あるいはAも一緒に同行するかの二者択一を迫られていたのであり、その際被告人の当時の状況から、E係長が後者を選択したとしても、一概にこれを責める訳にもいかない事情もある。これらの点から考えれば、E係長らのとった措置は極めて不適切であったとしても、その違法は直ちに被告人の保護手続きに影響を及ぼすものではないと言うべきである。仮に、その影響を考えるとすれば、右のようなAに対する拘束状態を利用して被告人に尿の提出を迫るというような場合が想定されるが、この点については後に検討することとする。

3 そこで、次に、被告人を朝霞警察署に連行した後に、E係長らにおいて、任意捜査として、被告人に尿の提出を求めたことの適否を考える。

ところで、保護手続きをとられた者といえども、犯罪の嫌疑が生じた限り捜査の対象となり得ることは否定し難く、その理は右保護手続きが違法と認められる本件でも同様である。従って、精神的な落ち着きを取り戻した被告人に対し、任意捜査としての尿の提出を求めることも、また適法になし得ることである。但し、保護手続きは、しばしば保護房等への留置という身柄拘束が伴う一方、その解除が捜査官の判断に委ねられていることから、保護手続き中の捜査には、その身柄拘束の継続もしくは解除の権限を利用し、被疑者に心理的圧迫を加えて捜査目的を達するという危険が生じることとなる。従って、本件の場合においても、違法とはいえ現に保護手続きがとられていた以上、採尿手続きの任意性の判断として、右身柄拘束状態の利用の有無をも検討しなければならない。更に、本件では、被告人に対する採尿手続中、その娘Aもともにその身柄が警察官の支配下にあったと認められるのであるから、捜査官がそのAの状態をも利用することがなかったかも問題となる。

①  そこで、まず、被告人から尿の提出を求めたことが任意捜査と言えるかについて考えるに、その尿提出の任意性には、提出時における提出者の意思が任意と言い得るかという問題と、提出に至るまでの採取過程全体が任意捜査の範囲内にあるかという問題がある。

そこで、まず前者について考えるに、元来覚せい剤使用の嫌疑を受け、捜査官から尿の提出を求められた者は(覚せい剤など使用した覚えなど全くなく、しかも自ら積極的に嫌疑を晴らそうとする者であれば格別)、その尿の鑑定結果が自らの犯罪立証の最大の方法となることを承知しているため、一般に自ら進んでその提出に応じるものは少ない。そこで尿の任意提出と言うとき、そこに強制の契機がない限り、提出者が消極的に提出する場合(いわゆるしぶしぶと応じる場合)をも含むと言わなければならない。本件で被告人が、最終的に本件鑑定に付された尿を提出したときは(被告人はこの際も水を提出したといっているがその理由のないことは既に詳述したとおりである)、前示8項認定のとおり、E係長らから腕をとられるなどの強制力を加えられることもなく、自ら署内のトイレへ行き、採尿容器に向けて排尿したうえで尿の入った右容器を自分自身でF巡査に手渡しているのである。もっとも、その提出は、被告人として仕方がないと考えてなしたことがその供述からも窺われるが、それはいわば前記のような消極的な同意に該当するものと考えられ、従って、被告人の尿提出自体の任意性は、これを肯定せざるを得ない。

次に、尿提出に至るまでの採取過程全体の任意性を判断するに、これが任意捜査の範囲内であるか否かを判断する場合には、対象者の覚せい剤使用の嫌疑の強弱、捜査官の説得時間(長短及び時間帯)、方法(特に退去意思の明確性の程度とその阻止的言動の有無)、内容(特に有形力の行使の有無)、説得場所の密室性、説得にあたった捜査官の人員等被告人に対する精神的圧迫の程度被告人の尿提出拒否の態度の強弱等の諸事情を総合的に勘案する必要があると考えられる(最高裁昭和五九年二月二九日決定・刑集三八巻三号四七九頁参照)。以下、順次検討を進める。

本件において、E係長らは、前示認定のとおり、寒川課長からの通報を受けた際、被告人には覚せい剤使用の疑いがある旨を聞いていたところ、過去被告人に覚せい剤取締法違反の前科二犯があることが保護後に明らかになり、加えて被告人が所持していたセカンドバッグ内から注射器一本が発見されるに至り、被告人は覚せい剤を使用していたが故に市民病院内で大騒ぎをしたものであるとの嫌疑を抱いたものである。右各事情に鑑みるとき、被告人の覚せい剤使用の疑いは客観的に極めて濃厚であったと言わねばならない。

ところでE係長らが被告人に尿の提出を求める説得に着手してから、翌八月二七日午前零時二五分ころ最終的に被告人が尿を提出するまでには四時間弱の時間を要しているが、この時間は、右のように被告人に対する覚せい剤使用の嫌疑が強かったことに照らせば、尿の任意提出を求める説得時間として特に長いものとは認められない。もっとも、その説得が深夜まで及んだ点は不適切であったと言わなければならないが、これは被告人がトイレに行きながら排尿しなかったり、尿と偽って水を出すなど捜査機関を惑乱する行動をとったことにも起因するものであって、捜査官にのみ責めを負わせるわけにはいかない。そしてこの間E係長らが被告人に有形力を行使した事実は、全く認められないのである。

次に、弁護人は、被告人は取調べ室内でE係長の他五人の警察官に取り囲まれ、同係長からは被告人の躁うつ病について侮辱され、終始大声で責めたてられたりしたのであって、その恐ろしさは一緒に居たAが失禁してしまうほどであったと主張する。

なるほど、当初、四名の警察官が取調べ室に出入りしていたことはE係長もその証言で認めているところであるが、そのうちの二名は補助者的立場の巡査であるうえ、約一時間後からはF巡査部長とE係長の二人が主となっていたのであって、既に何度も同様の罪で取調べを受けたことのある被告人が、右程度の人数の警察官がいたことで強い恐怖感を覚えたとは考え難い。現に、そのような説得の中でも、被告人は第一回目は排尿せず、第二回目も水を尿と偽って提出するという極めて思惑的な行動をしているのであって、そこに取調べ官に怯えている被告人の姿を見出すことは難しい。また、E係長らが、被告人の躁うつ病を知っていたという点は被告人が供述するところであるが、他にこれを多少でも窺わせる証拠を見出すことができないことからすると、直ちにその供述を採ることはできない。もっとも、E係長が大声をあげ、威圧的な態度で尿の提出を求めたということは、同係長や能登巡査の各証言からこれを推認することができるが(但し、これに対しては被告人も大声で怒鳴り返しており、直ちに脅迫その他任意性を疑わしめる類のものとは思われない。)、しかし、それがAに失禁をもたらす程のものであったという点はにわかに信じ難い。Aが失禁したという点は、被告人の供述のみでなく、Aからの被告人宛の手紙の中で触れられているようではあるが(当該部分は不同意となっている)、しかし、Aの手紙は、それが発送されるまでの被告人とのやりとりからすると、検察官の言う通り被告人の示唆による可能性も強く、しかも、この点に関する被告人の供述内容も、Aは被告人の膝の上で失禁したが、濡れたAの下着や被告人のズボンの取り換えなどの処置は格別要求しなかったという不自然なものであって、これまたにわかに信用し難いものである。なお、採尿手続中、被告人は何度も帰してくれと言ったと供述するが、その信用性の乏しいことは既に説示したとおりである(前記三の2の②)。そして、被告人の供述においても、被告人が具体的な退去行動をとったり、E係長らがこれを阻止する行動をとったという事実は全く窺うことができない。

さらに、被告人は、前示のとおり尿提出を求められて一度目は排尿せず、二度目も水を尿と偽って提出しており、これらからすれば、その尿提出拒否の態度は相当強固のようにも見受けられる。しかしながら、被告人は、一度目は約二、三〇分の説得で尿提出に応じたり、その後も提出するが暫く待って欲しいと申し出たりしており、その間には尿提出を促進するためのジュースやコーラ、水などを飲んでおり、二度目には尿提出に応じるふりをして水を提出するなどの行動をとっていることを考慮すれば、その真意は、強い尿提出拒否の態度というよりは、出来る限りの提出回避にあったと見るのが相当である。

以上のとおり、被告人に尿の提出を求めたE係長らの捜査は、被告人に覚せい剤使用の嫌疑が極めて強いことに比例して約四時間半をその説得等に用いており、やや威迫的態度も窺われるが、それは、被告人が提出回避的な態度で臨んだことにもその原因の一があり、しかもその説得の間、捜査官による有形力の行使や脅迫等が用いられたことはなく、また、被告人の退去を実力で阻止したり、外部との連絡を受けつけないといった行動にも出ていない。これらの諸事情から考えれば、E係長らの説得活動は、未だ任意捜査として許容される範囲内のものであったと認めるべきである。

② もっとも、本件で被告人は、前記の通り保護手続きをとられて警察署にその身柄を留め置かれていたのであり、採尿手続きはその拘束状態を利用していたのであるから、もし、捜査官がその身柄拘束状態を積極的に利用して、例えば「尿を出せば保護を解除する」というようなことを申し向け、被告人を心理的に追い詰めて尿を提出させたような場合には、これまた自由たるべき尿提出の意思を制圧するものとして採尿手続きの任意性を失わしめる事由になり得ると言うべきである。被告人は、本件でも、E係長から右に類する言葉を言われたと供述し、同係長は強くこれを否定するが、もし、E係長が「尿を出せば保護を解除する」などと被告人に迫り、これによって被告人の最終的な尿の提出がなされたとすれば、その後E係長はその言葉に反して被告人を保護房に収容したのであるから、その際当然約束違反として被告人との間で大きな争いが起きる筈である。しかし、E係長はもとより、被告人も、尿採取後にそのようなことで争ったとは何ら供述していないのであって(被告人は、三回目の提出の後に、帰してくれと言ったら捜査官から保護だから帰せないと言われて保護房に入ったと言うのみである)、このことからすれば、被告人の右の言い分はにわかに信用し難い。従って、E係長らが被告人の警察署への留め置きの状態を積極的に利用して尿を提出させたとは認められない。

さらに、被告人は、Aを早く寝かせてやりたくて尿を出したとの趣旨を供述する。まことに、六歳の少女を取調室で被告人の傍らの椅子に座らせたまま長時間を過ごさせたことは(但し、同女は、被告人が一回目の水を出した後、椅子上で寝込んでいる。)厳しい非難に値いするが、しかし、E係長らが、そのAに対する処遇を種にして被告人に尿提出を迫った事実は被告人の供述からも全く窺うことはできないから、この点も尿提出の任意性否定の理由にすることはできない。

4 以上、検討してきたところから明らかなとおり、被告人の保護をきっかけとして行われた本件採尿手続きは、その保護自体が要件違反の違法なものではあったが、その違法は未だ令状主義の精神を没却するまでの重大な違法とは言えず、また、採尿手続自体について、そこにAを同席させたことや、保護を解除しないまま被告人に尿提出を求めたことは厳しく非難されなければならないが、いずれについてもやむを得ない事情が認められるうえ、それが本件採尿手続きの任意性に影響を及ぼしたとは認め難く、その余の点でも本件採尿手続きは未だ任意捜査の範囲を超えてはいないと認められる。そして、右手続により得られた尿についての鑑定書を証拠に用いることが違法な捜査抑制の見地から相当でないとも認められないから、右鑑定書の証拠能力を肯定することができ、これを証拠から排除すべきとの弁護人の主張は採用できない。

五 なお、弁護人は、被告人の司法警察員に対する供述調書三通について、その任意性、信用性とも認められないと主張する。

右三通の供述調書は、要するに平成二年八月二四日に荒川河川敷で被告人が覚せい剤をコーラで飲み下したという覚せい剤の使用事実を認めているものであり、公訴事実(判示事実と同一)認定に役立つものではなく、これ迄の被告人の覚せい剤の使用態様(前件は二回とも注射使用)とも異なり、被告人が注射器を所持していた事実とも矛盾するものであるから、これらを事実認定の用に供する必要を認めないので(証拠の標目にも掲記していない)、その任意性、信用性についての判断には立ち入らない。

(量刑の理由)

本件は、被告人が既に覚せい剤取締法違反により二度有罪判決を受けて実刑に服したにもかかわらず、再び犯行に及んだものである。しかも、被告人の他に身よりもない幼い一人娘を抱え、本来であれば娘のために健全な社会人として完全に更生すべきであったにもかかわらず、刑務所から出所した後も暴力団との関係を断ち切ることなく、覚せい剤密売人のB、Cらとの交際を続け、最終刑執行の終了から約二年の後にまたもや覚せい剤に手を染めたものであって、そこに示される被告人の反社会的な性格と、覚せい剤に対する強い親和性、依存性には軽視できないものがあると言わなければならない。

加えて、被告人は、捜査段階及び公判廷において、既に詳述してきたように、不自然な弁解を繰り返しているところもあり、犯行後の反省の程度に疑問が生じない訳でもない。

もっとも、被告人は、現在自らが娘Aの唯一の保護者であることを強く自覚し、一日も早く真面目に仕事をして社会復帰することが肝要であり、同女もまたそれを望んでいることに気づき、事実は否認しながらも、以前に増して強い更生の決意を有するに至ったことが窺われる。

また、本件の保護手続きが違法であり、採尿手続きにもやや強引なところが見受けられることは既に述べてきたとおりであるが、犯罪捜査のため被疑者が受忍すべき不利益は、刑罰権行使にとり必要不可欠のものとして法が許容した限度に限定されるべきであり、これを超えて捜査機関が被疑者に不利益を課すならば、それによって被疑者が苦痛を受けた事実自体(捜査の違法を明らかにする為に長期の裁判を余儀なくされた不利益も含まれる)が広い意味での「犯行後の状況」にあたり、たとえ被告人が有罪とされる場合であっても、その量刑に相応の影響を及ぼすと考えるべきである。

以上の被告人に有利不利な諸情状を総合考慮すると、被告人に対しては、主文記載の懲役刑をもって臨むのが相当である。(なお、検察官は、本件審理が長期にわたったのは、被告人が不合理な弁解を繰り返したためであるから、未決勾留日数の算入にはその点を考慮すべきであるというが、証人の過半数は保護及び採尿の手続面に関する証人であり、これは捜査の不備によるものでもあるから、右主張に左袒することはできない。)

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官須藤繁)

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